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2009年5月31日 (日)

■コマ大数学科135講:長文読解

 麻生総理と鳩山代表の党首討論で、鳩山代表は「友愛」社会を作りたいと強調していたが、衆議員の議席を「自民220、民主284」の友愛数にしたい、ということなのかなぁ…(これでは衆議員議席の定数をオーバーしてしまう^^;)の「たけしのコマ大数学科」

※出典/クイズ大陸:No.Q51 小人の帽子

 目がチカチカするので、あらためて、問題--。

 深い森の奥に妖精の村がありました。妖精は皆、赤色か青色の帽子をかぶっています。しかし、村に何人住んでいるか、赤と青の帽子が何人いるか、自分の帽子が何色か無関心に暮らしていました。その上、他人の帽子の色には触れてはならない掟があったのです。しかし、自分の帽子の色がわかるときがきました。百年に一度、青い帽子をかぶった妖精しか参加できない祭りの開催です。誰も自分の帽子の色を知らないので、知らないうちは、祭りに参加出来ます。しかし、もし自分が赤い帽子だと分かったら最後、翌日からの参加は出来ないのです。初日は、妖精全員が参加しました。集まった妖精は全部で、400人でした。みんな密かに赤い帽子青い帽子が何人いるか数えてみました。でも掟のため、話題にできません。妖精たちは、自分の推理で自分の帽子の色を判断しなければならないのです。じつは、この祭りの初日には青い帽子の妖精が、200人。赤い帽子の妖精が、200人参加していました。もちろん、妖精たちは、自分以外の帽子の内訳しか分かっていません。では、赤い帽子の妖精が祭りからいなくなるまで何日間かかるでしょうか?

 番組の放送を見ていた爺は、赤い帽子の妖精は、200人なので、ひとりひとりが、赤い帽子の妖精の数を数えると、自分を除く199人で、自分が赤い帽子だってことがわかる。だから、翌日には、赤い帽子の妖精はいなくなっちゃうんじゃないの……と思った。

 もちろん、これは間違い。妖精たちは、青い帽子の妖精が何人いて、赤い帽子の妖精が何人いるか、知らないのだ。「自分以外の『内訳』しか分かっていません」という表現が、いまいちピンとこなかったのね。

 また、「妖精は皆、赤色か青色の帽子をかぶっています」とあることから、最低でも、ひとりは赤い帽子の妖精がいることになる。

 コマ大数学研究会は、長文の問題の意味を理解しようと、朗読のプロ、声優さんの「黒田崇矢」さんと、「恒松あゆみ」さんに朗読を依頼。恒松さんは、セクシーボイスで読み上げてくれたが、理解が増すどころか、妄想が増すばかりの結果となった^^; ものまねの「ホリ」も登場し、いろんな人のものまねで朗読……。楽しいロケになったが、問題を考えるどころではなく、スタジオで一緒に考えることに。

 コマ大生の答えは、「赤」坂と「青」山を結ぶのは……「246」号線とゆーことで、答え「246日間」。

 マス北野も考えることを放棄。100年に一度のお祭りだから「100年」としたが、これでは、コマ大生のダジャレと変わりなく、赤い帽子の妖精の数を倍にした「400日間」と推測した。

 東大生チームは、木村美紀と山田茜さん。赤い帽子の妖精の目から見える景色を考える。赤い妖精がひとりの場合は、自分以外は、すべて青い帽子の妖精なので、自分は赤い帽子であることがわかる(村には、最低でもひとりの赤い帽子の妖精がいる)。赤い帽子の妖精がふたりの場合は、赤い帽子の妖精をひとり見つける。自分の帽子が「青」だと仮定すると、2日目には、赤い帽子の妖精はいなくなるはず。ところが、2日目にも、赤い帽子の妖精が来ていることから、自分の帽子が「赤」であることがわかり、3日目でいなくなる。以下同様で、N人の赤い帽子の妖精がいたら、N+1日間で赤い帽子の妖精はいなくなる。問題の場合、赤い帽子の妖精の数は、200なので、答えは「201日間」。

竹内薫センセの「美しき数学の時間」

 竹内センセの解説も、東大生チームの解法と同じであった。竹内センセの回には、論理ゲーム的な問題が、これまでの「コマ大数学科」に度々登場してきたが、竹内センセ自身は「あまり、論理ゲームは好きじゃない」とのこと。意外や意外である。

 爺が楽しみにしている「ちょっといい話」数学のトリビアであるが、今回は、ゲオルグ・フェルナンド・ルードヴィッヒ・フィリップ・カントールの考えた「対角線論法」である(今回の問題文の長さにも匹敵する、長い名前^^;)。でも、いまいち、今回の問題との関連性がわからないのよね。

 それは、ともかく、カントールは、1845年、ロシアのサンクト・ペテルベルクに生まれたユダヤ系の数学者で、父は商人、母は音楽家のかなり裕福な家庭で育つ。弟はピアニスト、妹はデザイナーになったらしい。カントールにも芸術的な素質があったのかもしれない。

 小島寛之センセの「数学迷宮」からの聞きかじりだが、「数学の仕事は無限を有限に引き戻すこと」とある。

 たとえば、整数と分数(整数の比で表すことのできる有理数)を1:1の対応で考えてみる。

整数と有理数

 分数は整数の比で表すことのできる数だから、分母と分子に自然数を割り当てていくと、すべての分数を網羅できることになる(※色つきの分数は約分ができるもの。実際は負の分数も考えなければならない)。で、結論を言うと、すべての分数は、整数と1:1で対応づけることが可能になる。つまり、無限=無限。

 「全体は部分より大きい」というのは、ユークリッドの公理のひとつだが、次のような図を考えてみる。線分ABは、無限の点が集合したものである。

区間縮小法

 光源(O)から、AB上の任意の点(p)を線分CDに射影した点を(p')とする。どのような点(p)をとったとしても、(p)と(p')は、1:1に関連づけられる。つまり、ABに含まれる点の数と、CDに含まれる点の数は同じ。AB=CDになる。「部分が全体と等しい」というのが「無限」の性質なのら。

 ところで、分数のように循環する小数ではなく、循環しない無理数を作り出すことは、たやすくできる。
0.1001000100001000001…と無限に続けていけばよい。

 カントールは、自然数と、0~1までの無理数(小数点以下の数値が循環しない数)を1:1で対応づけしてみた……。

対角線論法(1)

 自然数のひとつひとつに、それに対応する、無限に続く無理数を並べて表にする。これで、1~∞の自然数と0~1の間の無理数が1:1で対応づけられる。無限=無限だ。ところが、カントールの考えた「対角線論法」を使うと、驚くべき結果となる。

対角線論法(2)

 表の対角線で色づけされた桁の数値を1つずらすのだ。すると、1:1に対応づけられた表に、新たな数が生まれる。その新たな数は、前の無限表の中には含まれていないのだ。カントールの出した結論は、「自然数の無限<無理数の無限」。同じ無限でありながら、どーやら、無限には、いろいろな種類分けができて、それぞれ、無限の濃度が違うようなのら。

 同じ「カルピス」でも、貧乏な我が家のカルピスと、裕福な家のカルピスでは、濃度が違うってこと?

 いやいや、爺の意識を無限の彼方へ誘う「いいちこ」(麦焼酎)にも、アルコール度が「20度」と「25度」のものがあるってことかな。

※Pencil Missaileは、[SPACE]キーでも発射できるよ^^;

※コマネチ大学数学科の「過去問題」はこちらから。
コマ大数学科:2008年度全講義リスト(暫定版)
コマネチ大学数学科:2007年度全講義リスト
コマネチ大学数学科:2006年度全講義リスト


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コメント

はじめまして。妖精たちの祭りの問題について、私は201日目ではなく、3日目だと思います。


もし赤い帽子の妖精が3人より多い人数だとしても、自分の帽子を「青」と仮定し2日目を迎えた時点で、自分以外の赤い帽子の妖精の数に変わりがないと気づくのは、赤い帽子を被っている全員が同時であるはず。なので、赤い帽子の妖精は全員が 3日目にはいなくなるのでは・・・と考えました。

投稿: クロール | 2009年6月 3日 (水) 10時41分

クロールさん、コメントありがとうございます。

爺は、およそ論理的ではないため、今回の記事でも、大ポカをしています。それは、

> また、「妖精は皆、赤色か青色の帽子をかぶっています」とあることから、最低でも、ひとりは赤い帽子の妖精がいることになる。

という部分です。ある程度、確信犯であったことは否めませんが、もう少し、表現というか、書き方を工夫すべきでした><;

論理和「OR」は、どちらか一方の条件を満たせば、「真」となるので、これは、あきらかに間違いです。日本語の直感的な使用法としては、正しくても……;;

なぜ、爺がこんな間違いをしたかと言うと、数学的帰納法を使うとき、「最低でも、ひとりは、赤い帽子の妖精がいる」ということを明示しておかなければ、ならないからです。

どうして、その前提が必要かと言うと、自分から見た風景が、青い帽子の妖精、399人だったとしても、少なくとも赤い帽子の妖精がひとりいるという前提がない限り、自分の帽子の色を特定できないからです。そもそもの論理の出発点が崩れてしまいます。

今回の問題の場合は、「青い帽子の妖精が、200人。赤い帽子の妖精が、200人参加していました。」とあるので、事実が「少なくとも、ひとりは、赤い帽子の妖精がいる」ということを担保しているとも、考えられます……。

そこで、クロールさんの考察ですが、たとえば、赤い帽子の妖精が3人の場合、それぞれが、自分以外の2人の赤い帽子の妖精を見ることになります。2日目で、自分以外の赤い帽子の妖精の数(ふたり)が変わらないからといっても、それぞれが、自分の帽子が「赤」、あるいは「青」であることを、論理的に証明することができません。どちらの場合でも成り立ってしまいます。

それが、わかるのが、3日目です。3日目でも、赤い帽子の妖精の数が変わらなければ、それは、自分の帽子が「赤」だからです。なぜなら、もし、自分の帽子が「青」ならば、自分が見ている、赤い帽子の妖精ふたりは、3日目には、いなくなっているはず……だからです。

こうして、赤い帽子の妖精がN人の場合は、N+1日目で、赤い帽子の妖精がいなくなることが証明されるんです。赤い帽子の妖精がN人いた場合、N日間、待たなければ、自分が赤い帽子であると、確定することができないんです。

投稿: Gascon | 2009年6月 3日 (水) 14時53分

はじめまして。

この問題、妖精以外の第三者が数をカウントして
妖精たちに「赤」の現在の数を告知しない限り、
最後の一人は「自分が赤」だという事実には気付かないですよね?

設問の「祭りに参加」を「祭りを開始」に変えれば
問題が成立するかと思いますが、いかかでしょうか?

ネット局で遅れての視聴ですので失礼致しました。

投稿: nigt | 2009年6月25日 (木) 01時57分

久しぶりにコメントをします。

 皆さんは「実際に赤の帽子をかぶっている」妖精だけの話をしているように思えます。

 この問題は「実際に青の帽子をかぶっている」妖精も自分の帽子が赤か青か分かっていません(私たちはすでに何人が赤、青の帽子をかぶっているか知っていますが)
 このため「実際に青の帽子をかぶっている」妖精は自分の見た光景(赤、青の帽子が何人いるか)で、201日目に「実際に赤の帽子をかぶっている」妖精がいなくなれば自分が青の帽子、まだ参加してれば自分が赤の帽子ということが分かります。この問題は意味をどう捉えるかで人それぞれ答えが変わるかもしれません。

 宣伝になってしまいますが、ある程度詳しい説明は私のホームページの「コマ大数学科に挑む」を見てください。

投稿: 藤崎竜也 | 2009年6月25日 (木) 08時57分

nigtさん、藤崎さん、コメントありがとうございます。
赤い帽子の妖精、青い帽子の妖精の話は、藤崎さんの記事を参照してもらうとして……
http://www.geocities.jp/tfujisaki2006/sugaku/komadai.html

爺は、小島寛之センセが「確率的発想法」という本の中で書いていた「コモン・ノレッジと集団的不可知性」について考えてみました。

先日、テレビを見ていたら、「メールの返事が来ないと不安」というのが、中高生のアンケートで上位になっていました。中高生の「携帯電話」への依存度を調べるアンケートでした。

そもそも、電子メールは、確実に相手に届くという保証を誰もしていない、インターネットの機能ですが、それを考慮外にして、メールが届いたとしても、相手がそれを読んだかどうかはわかりません。

AさんがBさん宛てに「明日○時に△△の前で会おうよ」とメールしたとします。Bさんは、Aさんからのメールを受け取り、Aさんとの情報を共有し、約束が成立したと考えます。でも、Aさんからしてみれば、Bさんからの返事が来るまでは、Bさんがメールを読んだかどうかさえわからず不安になります。

そこでBさんは「オーケー、じゃ、明日ね」と返信メールを送ります。ところが、今度は、Bさんが、自分の返信メールをAさんが受け取って読んでくれたかどうか、確かめる術がなく不安になります。

そう、お互いメールをやり取りすることで、この不安を小さくする(ふたりの間のコモン・ノレッジを形成する)ことはできますが、不安を完全に解消することはできません。これが「集団的不可知性」です。

 メールを送信したあと、「今、メールを送ったから見て」と電話する、という笑えない話があるけれど、電話の場合は、同時に情報を共有できるわけね。

 リアルタイムのコミュニケーションは、相手の時間を拘束すること。電子メールは、相手が都合のいい時間に読んでもらえる、手紙と同じように、非同期のコミュニケーション・ツールだったはず。

 でも、手紙のようなタイムラグが、ほとんどない電子メールを利用すると、リアルタイムと同じようなコミュニケーションを望んでしまうものです。返事が来ないことの不安が膨らむと、ひょっとして、メールを読んでいるのに返事を書かないということは、「私のことを嫌っているのでは?」とか、「嫌っていないまでも、私のことを大事に思っていないのでは?」などと、勝手な妄想を抱いてしまう。また、メールを受け取ったほうも、相手にそう思われたくないものだから、必死に返信を書く……。

 今回の問題は、赤い帽子の妖精の話だったけれど、自分の帽子の色を見ることができないという設定。それだったら、帽子を脱いで色を確認したら? と思うかもしれないけれど、これまた、ご丁寧に帽子を脱ぐと妖精は死んでしまうという設定がオリジナルにはあります。

 中高生のアンケートで「もし、携帯が使えない、なかったとしたら?」という質問に「ありえない、死んじゃう」という答えと同じじゃないかと……爺の妄想は広がるばかり。

 もうひとつ、不可思議なのは、相手の帽子の色についての話題をしてはいけないという掟。誰も本質的なことを話してはいけない。そんな中、自分の帽子(姿)が見えない妖精たちは、相手から自分がどう見えているのかばかりを気にしているようにも思えます。

 数学的な問題を扱うとき、あまり「たとえ話」で説明しようとすると、かえって問題の本質をわかりづらくしてしまうことがあります。さらに、爺のように妄想を広げると、わけがわからなくなりますので注意しましょう><;

●こんな問題は「いやだ」シリーズ
ある会社があります。この会社では、営業成績によって、おでこに「勝ち組」、「負け組」のレッテルが貼られます。社員は、皆、自分が「勝ち組」なのか「負け組」なのか知りません。しかし、自分以外の社員のおでこは見えるので、「あいつは負け組だ」とわかっています。でも、心に思うだけで、誰も口には出しません。この会社の規則では、自分が「負け組」とわかった時点で自主退社になるのです。さて、リストラの時期がやってきました。一斉に社員のおでこにレッテルが貼られました。この会社の社員数は400人。勝ち組は200人、負け組も200人でした。負け組の社員が会社からいなくなるのは、何日後ですか?

●爺の答え:昼食時に会社の外に出ると、ふとウィンドウに自分の姿が映った。おでこを見ると「肉」とあったので、牛丼を食べたくなった。

投稿: Gascon | 2009年6月25日 (木) 22時57分

Gascon 様

 私のページを参照にしていただきありがとうございます。理解できる程の説明をしているかは確信がありませんが(何しろ国語力は低いですので)参考にしていただければ幸いです。

 蛇足ですが携帯電話は一応持っていますが、受け取ったメールを2,3日気が付かずに読まないこともしばしば。以前受けた留守番電話を聞かずにいまだに何ヶ月も放っている今日この頃です

投稿: 藤崎竜也 | 2009年6月26日 (金) 21時52分

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