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2008年6月17日 (火)

■透明人間の存在証明

あなたは「私」の姿が見えない。あなたにとって私は「透明人間」のようなものである。「透明人間」である私が、自己の存在を証明するには、どーしたらいいか。

「私はここにいる」と、しゃべり続けることである。その声さえも届かなかったり、届いたとしても無視されたりしたら、あなたにとって「私」は存在しないことと同じことだ。それでも私はしゃべり続ける。

この「透明人間の存在証明」という言葉は、私が気に入って勝手に使っているものだけど、じつは、30年も前に「つりたくにこ」という漫画家が描いている。あるとき、自分の体がやけに影が薄くなっていることに気づく。やがて、友人たちや誰からも見えなくなるのだが、自分がそこにいるということをわかってもらうには、ひたすら、しゃべり続けるというストーリー。友人たちも、男の声が聞こえてくると「おお、そこにいたのか」という感じ。しかし、しゃべり続けることは男にとっても、大変なこと。やがて、しゃべることに疲れ、しゃべるのを止めたとき、男は本当に消えてしまう。

もちろん、この主人公の男は「つりたくにこ」という作家自身の投影である。膠原病(結合組織病)の中でも、もっとも重い症状が出るというSLE(全身性エリテマトーデス)に罹り、発熱や関節の痛みと戦いながら、それでも漫画を描き続け、1985年、37歳の若さで夭折した。作家「つりたくにこ」の苦悩を窺い知ることはできないが、作品を描き続けることで、自らの存在を「発信」し、自らの存在を「確認」していたのだと、私は解釈する。

「つりたくにこ」という漫画家を知っている人は少ないと思うが、私には多大な影響を及ぼした作家だ。私は1952年生まれで、小学校4年の頃に「少年マガジン」や「少年サンデー」が相次いで創刊されたと記憶している。世の中は、「少年」や「冒険王」といった月刊漫画誌ではなく、週刊漫画誌の時代へ進んだ。

そんな中、ちょっと異色な「ガロ」という月刊漫画誌が創刊されたのが、1964年。私が12歳、小学6年生の頃だ。中学に進んだ私は、その通学路の途中に一軒の貸本屋を見つける。今で言う「レンタルビデオ」や「レンタルDVD」というところか。そこで、白土三平の「死神少年キム」や水木しげるの「墓場の鬼太郎」など、昔の単行本時代の作品を読み漁る。「死神少年キム」は、少年マガジンでは「ワタリ」となり、「墓場の鬼太郎」は、「ゲゲゲの鬼太郎」となる。

その貸本屋で、私は「ガロ」に出会う。単行本の「忍者武芸帳」を描き上げた、白土三平をメインに据えた月刊漫画誌だ。新人漫画家募集の呼び掛けに応募し、採用されたのが「つりたくにこ」だ。「つりたくにこ記念文書館」でも、触れられていないが、私が「つりたくにこ」という作家に興味を持ったのは、ガロ(1966年7月号)に「レ・ミゼラブル」という作品が掲載されたとき。その頃、小学館は、中高生向けの「ボーイズライフ」という、漫画や読み物が混在した月刊誌を出していたのだが、その短編小説募集のコーナーに「釣田邦子」という名前で、タイトルも同じ「レ・ミゼラブル」という短編小説を応募し、佳作入選していたのだ。今では、確かめようもないが、ほぼ、内容は同一だったと記憶している。つまり「つりた」は、一方では「ガロ」に漫画を発表し、一方では、同一内容の作品を小説という形で、応募していたことになる。

自分が言いたいことを伝えるためには、手段を選ばないとゆーか、アウトプットの方法をいくつか自分の中に持ち、実践している。当時「マルチメディア」なんて言葉はなかったが「ひとりマルチメディア戦略」だ。中学生の私は「すごいかも」と興味を持った。

私が唯一、全ページ模写した作品は、「つりたくにこ」の「レ・ミゼラブル」だ。で、その後、「ガロ」に発表される「つりたくにこ」の作品は、漂々とした、アナーキーな感じの登場人物が多く登場し、私の大好きな作家となった。残念ながら、買い集めた「ガロ」や「COM」は、引っ越しや、仕事部屋として借りていたアパートを引き払うときに、全部、処分したり、アシスタントにあげてしまった。

昔の単行本には、かなり毒の臭いがする作品があった。前出の水木しげるの「墓場の鬼太郎」なども、水木しげるの、厭世的な、シニカルな面が主人公の「鬼太郎」に投影されていた。まぁ、単行本時代の「悪書追放」の動きもあって、少年マガジンに連載された「ゲゲゲの鬼太郎」は、そういった鬼太郎のキャラクターは薄められて、もっぱら、正義の味方的な描き方がされる。それでも、水木しげるの人生観、水木しげるワールドは、随所に見受けられるのが楽しいところだ。

白土三平の「ガロ」に連載された「カムイ伝」も、穢多(えた)非人といった格差、差別がストーリー上、重要な位置を占めているのに、少年サンデーに連載された「カムイ外伝」は、「抜け忍」というアウトサイダーのアクション忍者漫画になってしまう。

で、突然、まったく、カンケーのない話だが、今日(6月17日)、1988~1989年に起きた「東京・埼玉幼女誘拐殺人事件」の宮崎勤死刑囚の「死刑」が執行された。宮崎勤は、幼女5人を誘拐し、4人を殺害した罪で、1997年4月、東京地裁で死刑判決を受けている。

その1997年、「神戸連続児童殺傷事件」が起きた。小学生がハンマーで頭部を殴られ、死亡、重傷を負う事件が連続して起きたが、第三の犯行は、児童を殺害後、頭部を切断し、校門に置くという事件で、世の中を震撼させた。犯人の少年Aは「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、警察を挑発するような犯行声明文を新聞社に送り付けている。
そして、今年2008年、「酒鬼薔薇聖斗」と同い年の男が「秋葉原無差別殺傷事件」を起こした。トラックで秋葉原の歩行者天国に突っ込み、その後、ダガーナイフで次々とその場にたまたま居合わせた人たちを刺した。男は、犯行に至るまで、逐次、携帯サイトに犯行声明ともとれる書き込みを行っていた。

宮崎勤の「死刑」執行は、死刑確定から2年5か月という、これまでにない異常なスピードで行われたことから、「秋葉原無差別殺傷事件」が影響しているのではないかとも囁かれている。

ほぼ、10年おきに起きた、これらの悲惨な事件に共通する事柄は、「犯行声明文」など、何らかのメッセージを発信していることである。宮崎勤は「今田勇子」と名乗り、少年Aは「酒鬼薔薇聖斗」と称して、いずれも、筆跡鑑定を眩ますためか、角ばった文字で書かれている。1997年以降、インターネットが急速に発展し、「秋葉原無差別殺傷事件」では、携帯サイトにデジタルな文字として書き込まれた。

もうひとつの共通点は、人間関係がとても狭い範囲で、希薄に感じられること。それぞれが「コンプレックス」を抱いていたこと。もちろん、時代背景や、犯人の置かれている状況も異なり、一概にひとつの言葉で括ることはできないと思うが、なんとなく「透明人間の存在証明」という言葉が思い出されたのだ。

ただ、悲しいかな。その存在の証明の仕方は、幼稚で、想像力が欠如している。他者を巻き込み、取り返しのつかない犯罪という形で、自己の存在を証明してしまった。もう彼らは、透明人間ではない。しっかりと、その影が地面に刻み込まれてしまった。彼らがメッセージを発信しなくとも、代わりにマスメディアが、識者が、ワイドショーのコメンテータが、彼らの存在を証明しようとするだろう。

でも、刻み込まれたのは、犯行時の影だけで、あいかわらず、透明な存在なのかもしれない。

Turita_01 彼方へ
つりたくにこ未発表作品集
著者/つりたくにこ
発行/青林工藝社

2001年限定1000部発行
※ちなみに私が持っているのは「0944/1000」ギリギリで入手できた。現在「古書」としてしか入手不可能。


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